研究系及び研究施設の現状 171
3-8 計算分子科学研究系
計算分子科学第一研究部門
岡 崎 進(教授)
A -1)専門領域:計算化学、理論化学、計算機シミュレーション
A -2)研究課題:
a) 溶液中における溶質分子振動量子動力学の計算機シミュレーション b)溶液中におけるプロトン移動の量子動力学
c) 量子液体とその中での溶媒和に関する理論的研究 d)水溶液中における両親媒性溶質分子の自己集合体生成 e) 超臨界流体の構造と動力学
A -3)研究活動の概略と主な成果
a) 分子振動ポピュレーション緩和や振動状態間デコヒーレンスなど,溶液中における溶質の量子動力学を取り扱うこ とのできる計算機シミュレーション手法の開発を進めている。これまですでに,調和振動子浴近似に従った経路積 分影響汎関数理論に基づいた方法論や,注目している溶質の量子系に対しては時間依存のシュレディンガー方程式 を解きながらも溶媒の自由度に対しては古典的なニュートンの運動方程式を仮定する量子−古典混合系近似に従っ た方法論を展開してきているが,これらにより,溶液中における量子系の非断熱な時間発展を一定の近似の下で解 析することが可能となった。特に前者の方法では個々の多フォノン過程を分割して定量的に表すことができ,これ に基づいてエネルギーの溶媒自由度への散逸経路や溶媒の量子効果などを明らかにしてきた。さらには,コヒーレ ント状態の動力学に関し,密度行列の非対角項の時間発展を追跡することにより量子ビートを観察し,位相緩和に ついても詳細な解析を行ってきた。また後者の方法では個々の溶媒分子の運動と溶質量子系とのカップリングを時 間に沿って観察することができ,これに基づいて,気相に特徴的な衝突過程による緩和が無極性溶質のような短距 離相互作用系に対しては液体においても支配的であること,そしてその一方で,水中における極性溶質などクーロ ン相互作用系においては衝突とは全く異なり,見かけ上ランダムノイズ的な緩和機構を取ることを示してきた。 b)量子−古典混合系近似に基づいて,水溶液中における分子内プロトン移動の量子動力学シミュレーションを開始し
た。今年度はシミュレーションスキームの検討から始めてプログラムを完成し,これにより,プロトンの移動と溶媒 分子の運動との相関など,移動機構について分子レベルでの動的解析を開始した。
c) 常流動ヘリウムや超流動ヘリウムなど量子液体の構造と動力学,そしてこれら量子液体中に溶質を導入した際の溶 媒和構造や動力学について,方法論の開発を含めて研究を進めてきている。前者については交換を考慮しない経路 積分モンテカルロ法や積分方程式論,そして経路積分セントロイド分子動力学法などを用いて解析を進め,ヘリウ ムの動的性質や溶媒和構造などを明らかにしてきている。一方,後者に対しては粒子の交換をあらわに考慮した上 で,溶液系の静的な性質の研究に適した形での経路積分ハイブリッドモンテカルロ法を提案しこれまでにすでに超 流動を実現し,不純物を含む溶液系へと展開してきている。
172 研究系及び研究施設の現状
d) ミセルや二重層膜に代表されるような水溶液中における両親媒性溶質分子の集団的な自発的構造形成に対するシ ミュレーション手法を確立することを目的として,自由エネルギー計算を含めた大規模 MD 計算を行っている。今 年度は,特に大規模な MD 計算を効率よく実行することを可能とするため,原子数にして百万個オーダーの計算が 可能な高並列汎用MD 計算プログラムの開発を行った。そしてこれに基づいて,イオン性,非イオン性の両親媒性分 子が水溶液中に生成する球状ミセル,棒状ミセルなどに対して熱力学的積分法に基づいたシミュレーションを開始 し,得られた自由エネルギーより安定性のミセルサイズ依存性の検討を進めている。また,これらミセルの構造と動 力学そのものについても,集団運動にも注目しながら詳細な解析を進めている。
e) 超臨界水の示す構造と動力学について,大規模系に対する分子動力学シミュレーションを実施し,臨界タンパク光 の発生に対応する強い小角散乱や臨界減速などを良好に再現した上で,分子論的な立場から詳細な検討を行ってき ている。今年度は,水の分極を取り入れた分子モデルに基づいて,特に水の集団運動に注目して解析を進めた。
B -1) 学術論文
T. MIKAMI and S. OKAZAKI, “Path Integral Influence Functional Theory of Dynamics of Coherence between Vibrational
States of Solute in Condensed Phase,” J. Chem. Phys. 121, 10052–10064 (2004).
T. KOMATSU, N. YOSHII, S. MIUR and S. OKAZAKI, “A Large-Scale Molecular Dynamics Study of Dynamic Structure
Factor and Dispersion Relation of Acoustic Mode in Liquid and Supercritical Water,” Fluid Phase Equilib. 226, 345–350 (2004).
M. SATO and S. OKAZAKI, “Vibrational Relaxation Time of CN– Ion in Water Studied by Mixed Quantum-Classical Molecular Dynamics: Comparison with Fermi’s Golden Rule and Influence Functional Theory,” Mol. Sim. 30, 835–839 (2004).
B -3) 総説、著書
長岡正隆、岡崎 進 , 第5版実験化学講座 12「計算化学」, 日本化学会編 , 丸善 , 315–365 (2004).
B -4) 招待講演
岡崎 進 , 「グリッドコンピューティングに基づいたナノ分子集合体の研究」, 電気化学会第 71回大会 , 横浜 , 2004年 3月 . 岡崎 進 , 「溶液中の分子振動エネルギー緩和過程の計算機シミュレーション」, 第 20回化学反応討論会 , 東京 , 2004年 6 月 .
岡崎 進, 「溶液中における溶質分子の振動量子動力学の計算機シミュレーション」, プラズマ科学のフロンティア2004, 土 岐 , 2004年 8 月 .
S. OKAZAKI, “Quantum dynamics study of vibrational relaxation of solute in liquid and supercritical fluid,” Joint Meeting of ICMS and CSW 2004, Tsukuba, January 2004.
B -7) 学会および社会的活動 学協会役員、委員
分子シミュレーション研究会幹事 (1998- ). 日本学術振興会第 139委員会委員 (2000- ).
研究系及び研究施設の現状 173 理論化学研究会世話人会委員 (2002- ).
分子シミュレーション研究会編集委員長 (2004- ). 溶液化学研究会運営委員 (2004- ).
B -8) 他大学での講義、客員
東京大学教養学部 , 「熱力学 B 」, 1998年 4 月 - .
大阪大学大学院理学研究科 , 特別講義 A I「分子動力学法の基礎と展開」, 2004年 7月 13日 -15日 .
C ) 研究活動の課題と展望
溶液のような多自由度系において,量子化された系の動力学を計算機シミュレーションの手法に基づいて解析していくため には,少なくとも現時点においては何らかの形で新たな方法論の開発が要求される。これまでに振動緩和や量子液体につ いての研究を進めてきたが,これらに対しては,方法論の確立へ向けて一層の努力を続けるとともに,すでに確立してきた手 法の精度レベルで解析可能な現象や物質系に対して具体的に計算を広げていくことも重要であると考えている。また,電子 状態緩和や電子移動反応への展開も興味深い。
一方で,超臨界流体や生体系のように,古典系ではあるが複雑であり,また巨大で時定数の長い系に対しては計算の高速 化が重要となる。これには,方法論そのものの提案として実現していく美しい方向に加えて,グリッドコンピューティングなど 計算アルゴリズムの改良やさらには現実の計算機資源に対する利用効率の高度化にいたるまで様々なレベルでのステップ アップが求められる。このため,複雑な系に対する計算の実現へ向けた現実的で幅広い努力が必要であるとも考えている。